日本語メンタリング室 専門職主務 日本語講師
坂口 敦子
コロナ禍の難しい
状況のなかでも、
勉強を続けて
くれたことに感謝
私は1990年にエール学園の非常勤の日本語講師として勤め始めて、途中から日本語教育推進の仕事も担当することになりました。そのあと専任講師になって、2006年からは講師と職員を両立しながらエール学園で勤務しています。
元々語学が好きで、日本語ではなく、英語などの外国語が面白いと思って、少し英文科で勉強したこともあります。一般企業で会社員として働いていましたが、言葉を扱うことへの興味から、会社員をしながら翻訳を勉強できる学校に通っていました。その学校には日本語講師の養成講座もあって、覗いてみると教えるおもしろさを感じて、そこで日本語講師の勉強もし始めていました。その後、別の日本語学校で教えていましたが、エール学園でも教えることとなり今に至っています。
教師という仕事に抱いているイメージは小、中、高などの学校の先生で、一人の人生の大事な時期にものを教えるのは自分にはできないと思っていました。日本語講師を始めた頃も不安でしたが、語学を勉強する学生は年齢的にも社会経験的にも対等に近いような立場の人が多いので、抵抗感なくこの世界に足を踏み入れることができました。今はエール学園の職員として教材の開発などの仕事が中心で、若手の講師の育成にも力を注いでいます。教壇に立つ時間は前より少なくなって少し寂しいですが、学生と接する時はいつも直接、エネルギーをもらえるので楽しいです。
外国人の学生達は日本人より物をはっきり言います。あいまいな言い方をすると物事が伝わらないことが多いです。例えば会話の語尾に「けど」を付けると、学生には意味がはっきり分からないと言われます。もちろん「あいまい」も日本語の大事な表現の一つですが、講師を始めた当初はそういう気づきがなくて、休憩時間の会話などで誤解を招いてしまって、ショックを受けたこともありました。
エール学園の日本語講師になって、半分自分が留学したような体験ができてよかったと思います。いろんな国の学生達と接することができるので、文化的なギャップでショックを受けることもありますが、新たな視点を発見するなど、物事に対しての違う考え方に気付くことができました。学生達それぞれの国の生活文化や食べ物や習慣なども知ることができました。会社員時代には日本人だけのコミュニティーに参加していましたが、あの時よりも多方面から話題が増えて、プライベートで友人と話す時も話が尽きなくて楽しいです。
私が講師を勤めた当初、エール学園では韓国の留学生が大半でしたが、中国からの学生もだんだん増えてきて、ここ数年はベトナムの学生も多いです。他には台湾やインドネシアからも留学生が来ています。 韓国語と日本語は文法などが似ているので、韓国の学生達は日本語が上達するのが速いです。軍隊文化もあるからか、きびきびしている感じの学生が多かったですが、最近は昔より丸い人が多いイメージです。中国の学生達は大陸的な大らかなオーラを放ちますが、親族をとても大事にしている印象です。ベトナムの学生はわりとのんびりしていて、いつもにこやかな感じです。国柄はそれぞれ違いますが、日本人にもいろんな人がいるのと同じで、学生一人一人と接すると印象が変わることも多いです。
この2年間はコロナ禍のせいで全世界的に大変な時期になっています。授業の形式もオンライン授業に変わったりしています。今までの対面授業の臨場感がなくなるなど、コミュニケーションを取ることの難しさを感じています。特にオンライン授業でしか接したことのない学生達とは交流が少なくなって距離感が縮まらないので、授業への参加率も低くなりがちで、先生達も寂しがっています。
今年卒業する学生は、新型コロナが流行り出す前に日本に来て、日本で卒業を迎えることが出来る学生もいれば、1年前に入学して、日本に入国すらできず、ずっとオンライン授業しか受けられず卒業する学生もいます。留学で体験できるはずの生活文化なども経験できなくて、そういう学生達に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。
難しい状況の中でも、エール学園で勉強を続けてくれたことにとても感謝しています。誰も経験したことのないことだからこそ、学生達がそれを糧にし、身に付けた日本語の能力を生かして、進学先や就職先で次のステップに進んでほしいと願っています。